黒白業

(唸り声)

かなりエネルギーを使った作業をした、気がする。序論なんて書いたことがないから、爆裂に疲れた……。本当に。間食にパン食べたし、夕食に爆裂にマックを食べた。アップルパイもつけちゃった。あとちょくちょくラムネも食べてた。人々、頭を使うとぽっかぽかになると思うが、私の今日もそれだった。ほっぺたが赤かったと思う。

本日はおおらかな心で有名な方の元で作業をさせていただいた。彼女は本当にいい人です。コミュニケーションをとるのが上手い。テニプリにふんわり浸かりながら作業をした1日だった。

 

私は基本的に人を信用していない、という程ではないが、自分のことをよく知らない他人は何かしら自分に危害を加えようとしている、くらいには思っているので、基本的に他人に割く心の容量はかなり小さい。話は聞くし理解もしようとするけど所詮他人、全員なんか言っている、位の気持ちでいる。一方、自分の可愛がり方が分からなくなっており、残った心の部分を自分に割くことも出来ない。おそらく、今はこの部分に諸々の仏教思想を詰め込もうとしているのだと思う(昔はここにオタクカルチャーが詰まっていた。蘆屋道満とか。)。嘘かも。詰め込まざるを得ないものがいるな。とてもここでは言えんが、思想・カルチャーや有象無象や自分ではないモノが詰まっている、ということは示しておいた方が良いと思う。これは備忘録であるので。

(ふんわりと日付をまたいでいる)

では、この涙は一体どこから染み出しているのだろうな。まず思い当たるのは自己の不在である。詰め込まれるものが多かったお陰か、この1、2年くらいですっかり小さくなってしまった自己。この涙はそいつの体液なのかもしれないな。他のところに染み込むこともなく、時も考えず、ぼとぼとと流れ出ることがある。あまりに源が小さすぎるせいで、何処から、何の故に流れ出てくるのかが見えなくなっているのだろうか。

※冒頭から汚い話をする。

 

ここの所ずっと、目覚めた後の腹痛に悩まされている。自分の感覚としては下痢してる時の腹の動き方に似ているんだが、この腹痛によって出てきたものは下痢とは言い難い形。ならば、この腹痛は人々が毎日催していると言われる便意というものなのか……?と考えること、しばしばあり。もしそうなら、人々の言っていた「朝出さないとモヤモヤする」という表現がよくわかる。これを我慢して職場や学校に行くのは、なんとなくモヤモヤする。キツいわけではないが、『何もない』というわけでもない、その絶妙なライン。腹痛を感じた経験がほぼなかった私には分かろうはずもなかった。むしろこうなる前の私は何を合図にトイレへ向かっていたんだろうな。「排泄できる/排泄できない」の二択であって、「排泄しない」という意思が入り込んだ択がなかったから、体が危険信号を発していたのかもしれない。「お前もう出さんと破裂するから!行け!」って。

 

さて、『何もない』で連想したので、ロボトミーコーポレーションの話をしよう。

ロボトミーコーポレーション Lobotomy Corporation」は韓国のインディーズゲームスタジオ、Project Moonが発売しているゲームである。ちなみに、前回の日記で話題に出した「リンバスカンパニー Limbus Company」の前々作になる。ゲームシステムは全然違うが、同一の世界観で繰り広げられる物語である。

ところでこの製品展開のされ方、何故かワクワクして好きなんだよな。新作から得られる未知の情報だけでなく、新システムという観点からも世界観の掘り下げができるからかもしれない。

閑話休題。自分はこのゲームが好きだ。このロボトミーコーポレーション、タスク管理しながらも程よく脳死で作業ができるから。簡単に頭を使ってる感だけが得られるってワケ。ゲームとしての都合上、管理リソースという報酬が絶対に得られるのもかなりミソな気がする。ていうか大体のゲーム、そうだな。話が広がらなかった。

縛りプレイをする人は何を思ってやるのか、とかこんど考えてみようかな。

狂し紛れの高笑い・想囚人

キレそうになると「アハハ」というテキストが頭を駆け巡るの、中学生の頃から居座っているオタクの条件反射的定型文なのか、はたまた過ストレスに対する防衛反応なのか、とんと分からない。

ところで。何を考えているのか理解できない他人に対して「間違い/異端」の烙印を押すよりも、長年近くで付き合い続けてきた自分に「間違い/異端」を焼き入れる方がまだマシな気がしてるので、普段自分はそうしている。マシというのは、己を過信するがあまりに変な道を爆走するよりは、ということだ。自分を省みないまま増長している人間はやがて見捨てられていく、という例を母からよく耳にしている。それはもう、何度も。「もし調子に乗った末に痛い目を見たら、多分この人は助けてくれないんだな」と、そんな思いがすくすくと長年かけて育っていった。公務員講座を数回受けてやめた時も、虚ろな目で企業説明会を受けていた時も、何も相談することなく院試を受けた時も、この思いがずっと、頭の片隅でゆらゆら揺れていた*1。これは半分くらい強迫観念なのかもしれない。謙虚であれと。そのせいで自分に「間違い/異端」の烙印を押し付ける癖が付いているのは、頂けない。冒頭のキレ芸*2云々に自他の区別は関係ないのに、自分に焼印を押す機会があると見るや、脇目もふらない……。

ただ、一通りキレたあとやストレッサーから距離を置いたあとに、首元にするりと冷たいものが巻き付いてくる。「『機械的に自分を否定する自分』を否定」するフェーズだ。手前のやりすぎな自己否定もここまでくるとよくできているな。おそらくここで、ちゃんと客観視が出来るようになっているわけだ*3

 

キレ飽きてきた。また今度加筆するかもしれない。

 

ところで、相手に伝わらない配慮は思いやりと言えないのではないか?

 

近況。

リンバスカンパニー、味わいがありそうなんだけど、噛み締める元気がない。顎を動かそうとする度に、バカにされているような諸々を思い出して集中できなくなる。早急に何とかしなければならない。殺すか。https://x.com/limbuscompany_b/status/1742818178022232073?s=46&t=sleRYgTNerYysMcY_cWhJg

これはウーティスさん。ウーティスさん、なんとなくエロいから困る。現在の自分自身が頼りになる存在を欲しているからかもしれない(ウーティスさんが万事頼りになる人か?というのは置いておいて)。自分の方から頼らせてくれる人間を切っておいて何を言っているんだろうな。

リンバスカンパニーで取り上げられてる作品、ちゃんと読みたいな。

  • 『変身』だけは既に所持していて、またどこかで読んだ覚えもあるが、読了感がさっぱり思い出せない。まるちゃん、それは読んだうちに入らないよ……。本の内容ではなく、読了感を覚えているか否かで読書判定してるの、見る人によっては絶許案件かもな。相容れないね。
  • 短くて取っ付きやすそうなのは『デミアン』『地獄変』あたりか。『ファウスト』は長そうではあるが、戯曲だし案外文章量はないんじゃないか?とみている。
  • 罪と罰』『異邦人』『白鯨』は長くてなかなか気合いが要りそう。ドストエフスキー、訳された文がカッチカチで取っ付きづらかった記憶があるし、難航しそう。でも楽しみだな。ポップカルチャーから文学作品読むのは文スト以来だから、その時の自分とリンクしてなんとなくワクワクする。懐かしいな、モビー・ディック。
  • 『つばさ』、今調べたら書き出しがイサンそのものすぎてひっくり返ってしまった。読みて〜〜〜

 

なにかに没入しようとしている時はこんなにも心穏やか。

*1:いつから「自分の決断」が「増長」に置き換えられていたんだ?

*2:ここで無意識にキレ「芸」などと表現することも、わたくしを蔑ろにしていることの表れなのかもしれないね。涙が滲み出るくらいに悔しいこれが、芸であってたまるものかよ。

*3:そもそも、一個人だけで本当の意味での客観視なんてできるのか?とも思う

ンァ眠暁をなんとやら

夏だよォッ!!!

 

ごきげんよう。等価ですよ。ここ一週間くらい眠くて仕方がない。ゼミ発表のあたりから眠り方がど下手くそになってしまった感がある。二時に閉じ、七時に醒める、夏の夢。クソ短歌サンキュー。バイト中にも意識が飛びかける。もう……駄目なんじゃアないかな。ハチャメチャにギリシャ語もサボッています。なんだここは?懺悔室か?

 

やったこといろいろ。

f:id:Eventyr:20230707171550p:image

Tシャツ用の絵を描いた。影、うまく塗れている。

f:id:Eventyr:20230707171902j:image

18等級。ありがとう。

はじめての日記から、約120日……?妙だな。

こんばんは。ここに来たということは、そう。現世にストレスを感じたということだね。具体的に言うとてめえの居場所の不在。全ては俺の責任です。ガハハ。死んでくれ……。

 

春休みが明け、なんだかんだ1ターム開始。ワイ将、のうのうと学校に通っている。指導教員に院進を大して止められなかったこと、また大変お世話になっている博士課程さんにも好意的な反応を示してもらえたことで、まんまとマシメンタルになっている。すまん、嘘かも。また他人からの励ましかいな、と嫌になってきた。やめましょうか。そも好意的な反応とは人手不足のアレかもわからん。マイナス思考やめなさーい!なお冒頭の「居場所の不在」はここではありません。見返してるのはお前くらいだろうし、なんなのかは分かるね。

 

こういった、自分への発信(それを自省と呼ぶのかもしれん)という形で書かれた文章、後から読み返して痒くなるのは、絶えず変化する俺という存在に基づいて書かれた文章だからだろうか。絶えず変化するものに依存して書かれた無常な文章は、どんな形だったかすら思い出せない執筆者の「俺」が、「俺」がさも不変のものであるかのように、読み手の「俺」に対し自信満々に語っている。読み返した時の主体は、書いた時の「俺」ではないので、「こいつ、無常であることを理解してねえ……」となるのかしらん。(要推敲。書きながら勝手に納得いったからって文章を適当に切り上げんじゃねえ。)読み手の「俺」への接触がない文章はその文章のみで完結した、つまり現行のタイムラインからは切り離された、一種の独立した作品と化すから読んでいられるのかな。

永田社長の、過去の自分へのスタンス、いいですよね。過去の自分を自分として恥じるのではなく、反面教師のように扱う。そうすると読み返しの痒さは感じなくなるのかも。

 

f:id:Eventyr:20230418020035p:image

これは存在しないゲームのプレイ中画面です。

仮免から1週間経ってるってマ?

 

こんにちは。珍しくお昼の更新です。何だかんだで寝坊せず教習行っててとてもえらい(まあ今日は送迎バスの予約を忘れていたんですが)。路上でクソヤバ運転してる気しかしないのですが、申し送りには特に何も書かれていないので、案外何とかなるかな。学科もちゃんとしなきゃ……。

 

特に何を喋りたいということは無いのですけども、まあたまには更新しとくかということで。意図して何も考えないようにしてるので、思想は何も出ないよ。強いて言うなら、施設についてる個室トイレは完全に公共の場と言えるのか、というところくらいか。うるさい。お前の意見は聞いていない。

脳みそで騒ぐあれこれと対話するとこういう文になる。文字に起こして冷静に見るとヤバいんじゃねえか?という気持ちが強くなるな。どうなんだろ。

 

終わりなき睡眠。

春休みですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。私の方は、10日ほど前に自動車学校に入校し、さらに先日仮免許を取得したところです。入校手続きの際の私はドチャクソネガティブアトミックボムで、免許なんか取れるわけねえだろカスマリオカートでコース外に転落してはジュゲムに助けられ続けてきた俺だぞとか思っていたのですが、なんとかなるもんですね。いうて今やマリオカートで華麗にドリフトしたりショートカットなど決めたりできるわけですし、まあ、本免もなんだかんだ取れることでしょう。現実にレインボーロードなどあるまいし。

おい、十分日記たりうる内容じゃねえか。なぜ一ヶ月も更新しなかったんだ?実家にWi-Fiがないからだよ。

 

さて、内面的な近況ですが。

あまり良くはないですね。話すべきことをちゃんと話せていないから、頭の内容整理ができていない。でも時間はあるので、何かをしなきゃという焦りが出て、詰め込む。身内に対する遠慮がある。現在の苦しみの原因を突き詰めていくと、全て自分の自信のなさに繋がってるんだよな。事実どうあれ、自分がそう思ってるということにも意義はあると考える。発達心理学認知心理学?実際人間の傾向としてどうあるのか、その辺よう知らんけど。

 

焦って詰め込んだ内容の一つとして、野矢茂樹氏の著作の一つ。いかに自分が論理力というものを記憶で補っていたか、ひしひしと感じる。アホほど凹むし、自信を喪失することで、脳に刻み込まれた声による罵倒が聞こえてくる(二重の具格。こういう構造は日本語として許されるんだったか。日本語がわからない。一マス戻る)。俺はもうダメだよ(絶望)

 

バランス取るために直近のハッピーも。

仮免取得の日、お昼に1人でガストに行きました。自主的な1人飯、驚くほど心が落ち着いた。売れっ子とうつ病のやつで、「好きなものを挙げろと言われて不快がない状態を挙げるのは相当参ってる状態」みたいな解釈を思い出す。慰めである。